なぜオードリーはティファニーに憧れたのか。

こんにちは。

 

先日「ティファニーで朝食を」を観ました。

ラストの名無しの猫を探し抱擁し合うシーンは印象的でしたが、あの盛り上がりがどのような意味を持っているのか、ふと考えてみました。

 

すなはち、オードリーヘプバーン演じるホリーは、「赤い気持ち」になるとなぜティファニーに行くのかということです。

 

それは「唯一無二の名前を持つティファニーの存在の絶対性」に憧れたのではないかと思います。ホリーが自分で言ったように、いくつもの名前(顔)を持ち、お金でつながる生き方をしていました。親につけられる名前を、無償の愛の象徴と捉えるならば、自らの存在への不安感とつながるでしょう。そして匿名的な金でつながる生き方をしていました。

 

ただ、それはホリーだけではありませんでした。そうポールです。彼もまた裕福な女性のヒモとして暮らしており、ホリーの似た生き方をしていました。そして、ホリーに関心を持っていきます。パトロンとの決別のシーンで言った、「他の作家志望を探すんだな」という発言は象徴的でした。代替可能な存在である自分との決別であったのです。

 

ここまで来ると、名無しの猫に対する思いも理解できます。ホリーにとっても、ポールにとっても、猫は自分自身だったのです。街中デートの図書館で「ティファニーだったらもっと良いおもてなしをしてくれるのに」という発言がありました。名前を獲得したものは他者にも優しくなれるのですね。

 

あらゆるものがスペック化・数値化される社会において、名前を獲得することは非常に価値があり、喜ばしいことだと思います。そんな観点からも楽しめる映画でした。